今の和木町
山口県の最も東にある町で、小瀬川を挟んで広島県の大竹市と向き合います。町の東は瀬戸内海に面し、南は岩国市に囲まれています。小瀬川の河口にできた低地に役場や工場が集まり、南側は山地です。昭和30年代から石油化学の工場が進出し、石油化学コンビナートのある町として知られます。面積の小さな町ですが、工場の税収で財政に余裕があるといわれます。
今の和木町の区域の人口は、2020年の国勢調査で6,034人です。今の区域で数えた1980年の7,516人とくらべると19.7%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は27.4%です。
主な産業:石油化学を中心にした重化学工業が主な産業です。
特産品・名産
- 石油化学製品1956年に石油化学工業の会社が進出し、石油化学コンビナートの町となった
- 紙1906年に製紙会社が進出し、今も工場がある
- 海苔かつて農業とともに町の主な産業だった
見どころ・祭り
- 蜂ヶ峯総合公園町で唯一の主な観光資源。バラ園やミニSLがある
- 瀬田八幡宮本殿が山口県指定文化財
- 小瀬川広島県との県境を流れる川
木ヤマモモ花ツツジ和木町の木・花
和木町のなりたち
和木町(わきちょう)は、山口県岩国圏の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに和木村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は玖珂郡に属していました。
「和木町」という名前
「和木」の地名の由来ははっきりしていません。町章は、町名の「ワキ」を図案にしたもので、大きな円は「輪」と円満な「和」を表すとされます。和木は江戸時代には岩国藩の領内にあり、小瀬川の河口に広がる土地です。1899年(明治32年)に和木村として分かれ、1973年(昭和48年)に町制を施行して和木町になりました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月、町村制に伴う合併で、和木村・瀬田村・関ヶ浜村と小瀬村が合併して小瀬川村が成立しました。1899年(明治32年)4月1日に小瀬川村は廃止されて、小瀬村と和木村(和木・瀬田・関ヶ浜)に分かれ、今の和木町の町域が決まりました。それ以後、町域は変わっていません。昭和の大合併のころ、1957年と1958年に、山口県知事と内閣総理大臣から岩国市との合併を促す勧告が出ましたが、和木村は受け入れませんでした。町の産業は農業と海苔づくりが中心でしたが、1906年(明治39年)に製紙会社が進出し、1956年(昭和31年)には石油化学工業が加わりました。1973年(昭和48年)4月1日に町制を施行し、和木町になりました。平成の大合併では、2002年(平成14年)10月に、岩国市などとの合併を前提とした協議会には参加しない考えを示しました。その後も合併はしておらず、2006年に周りの町村が岩国市と合併したあとも、和木町は単独の町として続いています。玖珂郡に残る唯一の町です。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、玖珂郡の小瀬村・関ヶ浜村・瀬田村・和木村の区域をもって小瀬川村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1899年4月1日明治32年玖珂郡の小瀬川村が分かれ、小瀬の区域に小瀬村、関ヶ浜・瀬田・和木の区域に和木村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1973年4月1日昭和48年玖珂郡の和木村が町制を施行して和木町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。