今の下松市
山口県の東部、周南市と光市にはさまれた瀬戸内海沿いの市です。沖に笠戸島があり、大きな内海を抱えたような地形をしています。南部の海沿いには、鉄道車両や鋼板をつくる大きな工場が並び、周南コンビナートの一角をなします。1990年代の初めまでは末武地区に田園が広がっていましたが、今は道路沿いに店が増えています。
今の下松市の区域の人口は、2020年の国勢調査で55,887人です。今の区域で数えた1980年の54,803人とくらべると2.0%ふえ、人口はほぼ横ばいです。65歳以上の人の割合は29.8%です。
主な産業:鉄道車両・鋼板などをつくる大規模工場が立ち並ぶ工業のまちです。
特産品・名産
- 下松牛骨ラーメン牛骨のスープが特徴のラーメン。駅前などに店が点在する
- 笠戸ひらめ栽培漁業センターのある笠戸島で育てられるヒラメ
- キツネの嫁入り花岡福徳稲荷社の稲穂祭で行われる行事
見どころ・祭り
- 笠戸島全島が瀬戸内海国立公園に含まれる島
- 米泉湖ダムでできた人工湖。周囲は公園として整備されている
- 鶴ヶ浜温泉くだまつ健康パーク内に湧く温泉
- 切山歌舞伎県指定の重要無形民俗文化財
- 天王森古墳2022年に形象埴輪群が出土した古墳
木ヤマモモ花サルビア下松市の木・花
下松市のなりたち
下松市(くだまつし)は、山口県周南圏の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。末武北村・久保村・末武南村・米川村・下松町です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の下松市になりました。
今の名前「下松市」は、1920年にあった下松町の名前を受け継いでいます。ほかの4の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の下松町が約10km²だったのに対し、今の下松市は約88km²と、およそ8.9倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は都濃郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、都濃郡は2003年(平成15年)4月21日に廃止されました。
「下松市」という名前
「下松(くだまつ)」の由来には、二つの説があります。一つは、推古天皇3年(595年)に青柳浦の松に大きな星が降りて輝き続けたという伝えにちなむ説です。松に星が降ったので「くだまつ」と呼ばれたとされます。もう一つは、百済との交易の港を意味する「百済津(くだらつ)」に由来するとする説です。どちらも確かなことはわかっていません。
まちの成り立ち
1939年(昭和14年)11月3日、都濃郡の下松町・久保村・末武南村・花岡村が新設合併し、市制を施行して下松市が発足しました。山口県で7番目の市です。1945年(昭和20年)には空襲を受け、250人以上の死傷者が出ました。戦後の1954年(昭和29年)11月1日に都濃郡の米川村を編入し、1962年(昭和37年)4月1日には都濃町の一部(中須南の一部)も加わっています。市制施行時は4町村の12大字を引き継ぎ、米川村の編入で4大字が加わりました。平成の大合併では、隣の徳山市・新南陽市・熊毛町・鹿野町とともに合併協議会をつくって協議しました。しかし2000年の市長選挙で合併に慎重な市長が当選し、合併の期日をめぐる主張が受け入れられず、協議会を脱退しました。2004年の市長選挙でもこの方針が支持されました。徳山市・新南陽市・熊毛町・鹿野町は2003年(平成15年)4月21日に合併して周南市になり、下松市は単独の市として続いています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、都濃郡に豊井村・久保村・末武南村・末武北村・米川村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1901年3月1日明治34年都濃郡の豊井村が町制を施行し、改称して下松町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1929年4月1日昭和4年都濃郡の末武北村が改称して花岡村となった。種類:改称 出典:Wikipedia
- 1939年11月3日昭和14年都濃郡の下松町・久保村・末武南村・花岡村が合併し、市制を施行して下松市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1954年11月1日昭和29年都濃郡米川村が下松市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1962年4月1日昭和37年都濃郡都濃町の一部(大字中須南字滝ノ口)が下松市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。