今の湯浅町
和歌山県中部の西岸にあり、海と山に囲まれた町です。熊野参詣の宿所と紀伊水道の港町として栄え、醤油醸造で育った古い町並みが残っています。重要伝統的建造物群保存地区では、醤油の香りと人々の暮らしが通りに重なります。海ではしらすなどの魚がとれ、山の斜面では三宝柑や温州みかんが栽培されています。湯浅駅周辺には、えき蔵や旧駅舎など人が集まる場所も整っています。
今の湯浅町の区域の人口は、2020年の国勢調査で11,122人です。今の区域で数えた1980年の17,037人とくらべると34.7%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は37.0%です。
主な産業:醤油・金山寺味噌の醸造、柑橘栽培と漁業が営まれています。
特産品・名産
- 湯浅醤油醸造の歴史を受け継ぐ町の産物
- 金山寺味噌野菜などを合わせて仕込む食べる味噌
- 三宝柑温暖な気候で栽培される柑橘
見どころ・祭り
- 湯浅伝統的建造物群保存地区醤油醸造で栄えた古い町並み
- 湯浅駅旧駅舎カフェなどを備える交流の場所
- 湯浅えき蔵湯浅駅前の複合施設
木なぎ花三宝柑湯浅町の木・花
湯浅町のなりたち
湯浅町(ゆあさちょう)は、和歌山県紀中地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。田栖川村・湯浅町です。
今の名前「湯浅町」は、1920年にあった湯浅町の名前を受け継いでいます。ほかの1の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の湯浅町が約12km²だったのに対し、今の湯浅町は約20km²と、およそ1.7倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は有田郡に属していました。
「湯浅町」という名前
湯浅という名には、海が今より内陸へ入り込んでいたころ、水を意味する「ゆ」が浅く広がっていたことにちなむという説があります。古い名の「温笠(ゆかさ)」から転じたともいわれています。平安時代には、当地の豪族である湯浅氏の活動とともに、湯浅の地名が文献に登場します。湯浅氏も住んでいた土地の名を姓としたとされ、港と街道の町に古くからの地名が受け継がれています。
まちの成り立ち
湯浅は、海の交通と熊野参詣の街道が交わる場所に育った町です。平安時代には熊野三山へ向かう人々の宿所となり、地元の湯浅氏も勢力を広げました。江戸時代には紀州藩の有田御代官所が置かれ、湯浅組として周囲の村々を治める拠点となりました。街道の伝馬所と港を備え、商人や職人が集まる商工業の町へ発展しました。
明治の町村再編では、湯浅村・別所村・青木村・山田村が合併して湯浅村となりました。田村・栖原村・吉川村は田栖川村をつくりました。1896年6月22日、湯浅村が町制を施行し、湯浅町となりました。1956年には湯浅町と田栖川村が合併し、現在につながる町の区域がまとまりました。
町の歩みを支えた仕事の一つが醤油づくりです。紀州藩の保護のもとで醸造業が発展し、醤油を運ぶ海運業や関連するものづくりも育ちました。金山寺味噌やみかん、漁業や魚網づくりも町の暮らしを支えてきました。
醤油醸造で栄えた古い町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれています。白壁や木造の家々が続く通りには、今も醤油づくりと人々の暮らしが共に残っています。
年表
- 1896年6月22日明治29年有田郡湯浅村が町制を施行し、湯浅町となった。種類:町制施行 出典:www.town.yuasa.wakayama.jp
- 1956年有田郡の湯浅町・田栖川村が合併し、湯浅町の区域がまとまった。種類:その他 出典:www.town.yuasa.wakayama.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。