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太地町たいじちょう

太地町は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている町です。

1町村から

今の太地町

紀伊半島の南東部、熊野灘に面する町です。北西側に森浦湾の入り江があり、常渡半島や平見の丘陵など、海岸と丘が入り組んでいます。町の中心には太地港があり、捕鯨やマグロ漁業とともに発展してきました。燈明崎から梶取崎へ続く海岸には古式捕鯨の史跡が残ります。くじらの博物館では鯨の生態と捕鯨の歴史を紹介し、海の自然と地域の歩みに触れられます。

今の太地町の区域の人口は、2020年の国勢調査で2,791人です。今の区域で数えた1980年の4,539人とくらべると38.5%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は44.9%です。

2,791人人口(2020年)
−38.5%1980年からの増減
5.81km²面積(国土地理院)
480人/km²人口密度
44.9%65歳以上の割合
4,5391980199020052020
15歳未満 7.2%15〜64歳 47.9%65歳以上 44.9%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:漁業を中心に、水産加工と鯨の歴史や海岸を生かした観光が行われています。

特産品・名産

  • 鯨肉捕鯨のまちで受け継がれる食材
  • 魚の干物地元の商店で扱う水産加工品
  • てつめん餅町内の菓子店が作る銘菓

見どころ・祭り

  • くじらの博物館鯨の生態や捕鯨の歴史を展示
  • 燈明崎山見台や狼煙場跡が残る岬
  • 梶取崎灯台と古式捕鯨の史跡がある岬
  • くじら浜公園捕鯨船や鯨のモニュメントがある公園

花ハマユウ鳥イソヒヨドリ太地町の花・鳥

太地町のなりたち

太地町(たいじちょう)は、和歌山県紀南地域の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに太地村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい町です。

1920年の時点で、この区域の町村は東牟婁郡に属していました。

11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
6km²今の面積

「太地町」という名前

「太地」という地名の詳しい由来ははっきりしていません。現在の町名は、明治時代に発足した太地村の名を受け継いでいます。1889年(明治22年)4月1日に、太地村と森浦村が合併して太地村となりました。その後、1925年(大正14年)4月1日に町制を施行し、太地町という名前になりました。

まちの成り立ち

太地は、熊野灘の海とともに歩んできたまちです。江戸時代には和田頼元が船乗りを組織し、鯨を見張る山見や、旗・狼煙による連絡の仕組みを整えました。孫の和田頼治は、網に鯨を追い込んでからモリで捕らえる方法を生み出しました。この捕鯨の技術は西日本各地に広がりました。

1889年(明治22年)4月1日、東牟婁郡の太地村と森浦村が合併して太地村が発足しました。明治以降も捕鯨事業やマグロ漁業が行われ、人口の増加に伴って1925年(大正14年)4月1日に町制を施行しました。町となってからも、海に関わる仕事が暮らしを支えました。

1964年(昭和39年)には宅地造成のため水の浦湾の埋め立てが行われ、翌年、造成された暖海地区に役場庁舎が整備されました。1966年(昭和41年)には常渡海岸の埋め立てが行われ、1969年(昭和44年)にはくじらの博物館が開設されました。町内には燈明崎の山見台や狼煙場跡、梶取崎の史跡などが残り、捕鯨に関わった人々の歴史を伝えています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、東牟婁郡の太地村・森浦村が合併して太地村が発足した。種類:町村制 出典:www.town.taiji.wakayama.jp
  2. 1925年4月1日大正14年東牟婁郡太地村が町制を施行し、太地町となった。種類:町制施行 出典:www.town.taiji.wakayama.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

太地村→太地町1889〜今

参考にした資料