今の日高町
紀伊半島の西海岸のほぼ中央にあり、西は紀伊水道に面する町です。内陸には肥沃な耕地が広がり、米や野菜が作られ、山間部では果樹が栽培されています。海岸は砂浜と岩礁が入り組み、漁港や海水浴場があります。北東部には熊野古道が通り、原谷では黒竹が育てられています。クエ料理や海を望む温泉施設も、海と山に囲まれた町の特徴です。
今の日高町の区域の人口は、2020年の国勢調査で7,673人です。今の区域で数えた1980年の6,973人とくらべると10.0%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は30.3%です。
主な産業:農業と漁業を基幹産業とし、クエ料理や海辺のレジャーを生かした観光も行われています。
特産品・名産
- クエ冬に鍋や刺身などで味わう町の名物
- 黒竹製品原谷の黒竹を使った花立てや置物など
- なた豆茶町の特産品で、アイスにも使われる
見どころ・祭り
- 熊野古道石畳の道と巡礼の旧跡が残る
- 産湯海水浴場紀伊水道に面する遠浅の砂浜
- みちしおの湯方杭にある海を望む温泉施設
- 西山・アサギマダラの谷渡りをする蝶の観察地点
木あこう花萩日高町の木・花
日高町のなりたち
日高町(ひだかちょう)は、和歌山県紀中地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。東内原村・西内原村・志賀村・比井崎村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の日高町になりました。
今の名前「日高町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの4の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の東内原村が約14km²だったのに対し、今の日高町は約45km²と、およそ3.2倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は日高郡に属していました。
「日高町」という名前
「日高町」は、1954年(昭和29年)に内原村・志賀村・比井崎村が合併した際に付けられた名前です。日高地方の中心的な存在になるようにという願いが込められています。それまでの三つの村の名に代わって、地方の名を町名に取り入れました。町章には「ひだか」の頭文字の「ひ」が使われています。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)の町村制施行で、今の町域には日高郡の東内原村・西内原村・志賀村・比井崎村が発足しました。それまでの村や浦は、新しい村の中で大字と呼ばれるようになりました。町村制の前には、比井浦などの連合村と志賀村による四つの行政区がありました。再編の際には三尾浦と丸山村が他の村へ移り、小池村は志賀村に含まれました。
1941年(昭和16年)8月、東内原村と西内原村が合併して内原村が生まれました。昭和の大合併では、1954年(昭和29年)10月1日に内原村・志賀村・比井崎村が合併し、日高町が発足しました。内陸の農村と紀伊水道に面した漁村が、一つの町として歩み始めました。
町の北東部には熊野古道が通り、石畳の道や旧跡が残っています。原谷地区では黒竹の栽培が続き、釣り竿や家具の装飾から花立て、置物などへと利用が広がりました。海沿いではクエが古くから白鬚神社の秋祭りに奉納されてきました。昭和40年代には旅館や民宿が冬の料理として提供し、町の名物となりました。山側の古道と農地、海側の港や集落が、今の町の暮らしを支えています。
年表
- 1889年町村制の施行により、日高郡に東内原村・西内原村・志賀村・比井崎村が発足した。種類:町村制 出典:www.town.hidaka.wakayama.jp
- 1941年8月昭和16年日高郡の東内原村・西内原村が合併し、内原村が発足した。種類:新設合併 出典:www.town.hidaka.wakayama.jp
- 1954年10月1日昭和29年日高郡の内原村・志賀村・比井崎村が合併し、日高町が発足した。種類:新設合併 出典:www.town.hidaka.wakayama.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。