今の御坊市
和歌山県の海岸部のほぼ中央、日高川の河口に広がる市です。本願寺日高別院を中心に発達した寺内町があり、町屋や近代の建物に商業のまちの歴史が残ります。海岸と川の自然に恵まれ、河口には干潟や野鳥の生息地が広がっています。温暖な気候を生かした花や果物の栽培も盛んです。市街地の寺社から、熊野参詣道の王子社、名田の花の産地まで、多様な地域がつながっています。
今の御坊市の区域の人口は、2020年の国勢調査で23,481人です。今の区域で数えた1980年の30,398人とくらべると22.8%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は31.9%です。
主な産業:スターチスなどの花きや果物の栽培、地域の商業や水産加工が営まれています。
特産品・名産
- スターチス温室で栽培される切り花
- 蒲鉾ごぼう巻など多様な水産加工品
- つりがね饅頭御坊で作られる銘菓
見どころ・祭り
- 本願寺日高別院御坊の地名の由来となった寺院
- 寺内町町屋や近代の建物が残る町並み
- 塩屋王子神社熊野参詣道に関わる王子社
- 御坊祭小竹八幡神社で行われる祭り
木くろがねもち花こぎく御坊市の木・花
御坊市のなりたち
御坊市(ごぼうし)は、和歌山県紀中地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、6の町村がありました。湯川村・藤田村・野口村・御坊町・塩屋村・名田村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の御坊市になりました。
今の名前「御坊市」は、1920年にあった御坊市の名前を受け継いでいます。ほかの5の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の御坊町が約3km²だったのに対し、今の御坊市は約43km²と、およそ15.8倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は日高郡に属していました。
「御坊市」という名前
御坊の名は、本願寺日高別院が「御坊所」「御坊様」と呼ばれていたことに由来します。寺の周囲は寺内町として栄え、各地の産物を扱う問屋が並びました。この呼び名が地域の名前となり、明治の御坊村、御坊町へと受け継がれました。1954年(昭和29年)に御坊町と周囲の五村が合併した際にも御坊の名が使われ、御坊市が誕生しました。
まちの成り立ち
御坊は、本願寺日高別院を中心に栄えた寺内町です。江戸時代には各地の産物を扱う問屋が集まり、今も町屋や近代の建物にその面影が残ります。日高川の河口という立地は、物資の集散や地場産業の発展にも結びついてきました。
1889年(明治22年)の町村制では、日高郡に御坊村・湯川村・藤田村・野口村・塩屋村・名田村の六村が発足しました。1897年(明治30年)には御坊村が町制を施行し、御坊町となりました。明治末期から大正時代にかけて製材業や紡績業が発展し、道路や航路の整備とともに、働く人々が各地から集まりました。
水害を受けた各町村が復興に取り組むなかで合併の機運が高まりました。1954年(昭和29年)4月1日、御坊町・湯川村・藤田村・野口村・塩屋村・名田村が合併して御坊市が発足しました。水害復旧に多額の費用を要し、1956年(昭和31年)には財政再建団体の指定を受けました。その後、財政構造の改善を進め、1966年(昭和41年)に再建を終えています。
現在の御坊には、寺内町の歴史に加えて、熊野参詣道の王子社や、日高川河口の自然が残ります。旧村の地域を結ぶ市として、花や果物の栽培、地域の商業などが営まれています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、日高郡に御坊村・湯川村・藤田村・野口村・塩屋村・名田村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1897年2月1日明治30年日高郡御坊村が町制を施行し、御坊町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1954年4月1日昭和29年日高郡の御坊町・湯川村・藤田村・野口村・塩屋村・名田村が合併し、御坊市が発足した。種類:新設合併 出典:www.city.gobo.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。