今の海士町
島根半島の北の日本海に浮かぶ、隠岐諸島の島前にある町です。中ノ島だけで一つの町をなしています。島は北東から南西に走る山地で二つに分かれ、外海に面した南東側は地形が急で海岸線が入り組み、良い港があります。内海に面した北西側は平地が多く、町の穀倉地帯です。湧水が多く、名水百選の「天川の水」があります。流罪になった後鳥羽上皇が暮らした地で、1963年に大山隠岐国立公園に指定されました。
今の海士町の区域の人口は、2020年の国勢調査で2,267人です。今の区域で数えた1980年の3,537人とくらべると35.9%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は39.9%です。
主な産業:第三次産業が中心です。水産物や米、さざえカレーなど島の産品づくりにも取り組んでいます。
特産品・名産
- 白いか・寒シマメ町の公式ページが挙げる特産品
- 海士乃塩町の公式ページが挙げる特産品
- 島じゃ常識さざえカレーサザエを使ったカレー。島の代表的な特産品
- 岩がき「春香」島で育てる岩がき
見どころ・祭り
- 隠岐神社1939年に島根県が創建した神社
- 明屋海岸赤褐色のスコリアが露出する断崖の景勝地
- 三郎岩海上に立つ3つの岩。海中展望船の目的地
- 天川の水名水百選に選ばれた湧水
海士町のなりたち
海士町(あまちょう)は、島根県隠岐の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに海士村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は海士郡に属していました。
「海士町」という名前
「海士(あま)」の名は、古代の律令制で置かれた「海部郡(あまのこおり)」にちなみます。県の地名鑑では、海や漁をする人びと、漁を営む民を表す名と考えられています。古くは中ノ島に布施・海部・佐作の3つの郷があり、中世の『吾妻鏡』には「阿摩郡」の名も見えます。1904年(明治37年)に島の村々が一つになって海士村となり、1969年(昭和44年)に町制を施行して海士町になりました。
まちの成り立ち
海士町は、隠岐諸島の島前にある中ノ島を町の区域としています。奈良時代から罪を受けた人が流される島で、承久の乱に敗れた後鳥羽上皇もこの島に流されました。江戸時代には松江藩が治め、1613年(慶長18年)に検地が行われています。そのころの島には8つの村がありました。1904年(明治37年)、隠岐に町村制が施行され、中ノ島の村々をまとめた海士郡海士村が発足しました。明治の終わりから昭和の初めには耕地の整理が進み、漁船の動力化もあって暮らしが安定しました。1969年(昭和44年)1月1日に町制を施行して海士町となり、同じ年の4月1日には隠岐の4つの郡が一つになって隠岐郡に属しました。昭和30年代からは島を出る人が増え、高齢化が進みました。平成の大合併のころも合併はせず、単独の町として歩む道を選んでいます。2004年(平成16年)には自立に向けた計画をつくり、さざえカレーや岩がき、隠岐牛など、島の産物を生かした品づくりを進めてきました。
年表
- 1904年4月1日明治37年隠岐国に町村制が施行され、中ノ島の8か村をまとめた海士郡海士村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.shimane.lg.jp
- 1969年1月1日昭和44年海士郡海士村が町制を施行し、海士町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.shimane.lg.jp
- 1969年4月1日昭和44年周吉郡・穏地郡・海士郡・知夫郡の区域をもって隠岐郡が発足し、海士町は隠岐郡に属した。種類:郡の変更 出典:www.pref.shimane.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。