今の田尻町
大阪府南部、泉佐野市と泉南市の間で大阪湾に面する町です。吉見・嘉祥寺の地区と臨海部、沖合の関西国際空港の中央部を町域としています。南海本線が通り、吉見ノ里駅が町の交通の拠点です。農業や漁業が営まれ、泉州黄たまねぎの吉見早生の復活栽培にも取り組んできました。田尻漁港では日曜朝市が開かれ、海辺には田尻スカイブリッジやマーブルビーチがあります。
今の田尻町の区域の人口は、2020年の国勢調査で8,434人です。今の区域で数えた1980年の7,519人とくらべると12.2%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は23.9%です。
主な産業:農業・漁業に加え、関西国際空港に関連する仕事が営まれています。
特産品・名産
- 泉州黄たまねぎ吉見早生の復活栽培が行われる
- 水なす町内で生産される泉州の特産野菜
- 泉だこ町が紹介する地元の海産物
見どころ・祭り
- 田尻歴史館紡績会社社長の別邸として建てられた洋館と和館
- 田尻漁港日曜朝市が開かれる大阪湾の漁港
- 田尻スカイブリッジ関西国際空港や海辺を望む橋
木松花コスモス鳥スズメ田尻町の木・花・鳥
田尻町のなりたち
田尻町(たじりちょう)は、大阪府泉南地域の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに田尻村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、府内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は泉南郡に属していました。
「田尻町」という名前
「田尻」という地名の由来ははっきりしていません。現在の町名は、1889年(明治22年)に吉見村と嘉祥寺村が合併して生まれた田尻村の名を引き継いでいます。村の発足時は日根郡に属し、1896年に泉南郡の村となりました。1953年の町制施行後も、田尻の名が町名として使われています。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日、吉見村と嘉祥寺村が合併し、日根郡田尻村が発足しました。吉見と嘉祥寺には古い耕地の地割が残り、早くから農地が開かれていました。明治初めには吉見が吉見県、嘉祥寺が岸和田県の管轄となった後、ともに堺県に入り、1881年には大阪府に属するようになりました。
1896年(明治29年)、南郡と日根郡の区域に泉南郡が置かれ、田尻村も泉南郡に属しました。1953年(昭和28年)5月3日には町制を施行し、田尻町となりました。吉見と嘉祥寺の名は、今も町内の地名として使われています。
海に面した町では農業や漁業が営まれ、明治期から泉州黄たまねぎの栽培が行われました。市場から一度姿を消した品種の一つ、吉見早生は、2007年に復活栽培に成功しています。1994年(平成6年)に沖合で関西国際空港が開港し、空港島の中央部が町域に含まれる町となりました。漁港や田園のある陸地と国際空港が同じ町を形づくっています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、日根郡の吉見村・嘉祥寺村が合併し、田尻村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年4月1日明治29年南郡と日根郡の区域に泉南郡が置かれ、日根郡田尻村が泉南郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1953年5月3日昭和28年泉南郡田尻村が町制を施行し、田尻町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。