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東洋町とうようちょう

1920年には2の町村だった区域が、1回の合併・編入を経て、今の東洋町になりました。

2町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の東洋町

高知県の最も東にあり、徳島県と接する町です。室戸阿南海岸国定公園のほぼ中央に位置し、野根川沿いに町域が広がります。海岸段丘とリアス式海岸が続き、白浜海岸は遠浅の海水浴場、生見海岸はサーフスポットです。産業は水産業のほか、林業や果樹栽培で、ポンカンや小夏を作ります。野根山街道が奈半利町へ続きます。

今の東洋町の区域の人口は、2020年の国勢調査で2,194人です。今の区域で数えた1980年の4,943人とくらべると55.6%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は50.9%です。

2,194人人口(2020年)
−55.6%1980年からの増減
74.02km²面積(国土地理院)
30人/km²人口密度
50.9%65歳以上の割合
4,9431980199020052020
15歳未満 6.1%15〜64歳 43.1%65歳以上 50.9%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:水産業が中心で、林業のほか、ポンカンや小夏などの果樹栽培があります。

特産品・名産

  • ポンカン町の名産の柑橘
  • 小夏町の名産の柑橘
  • 野根まんじゅう町の名物の菓子

見どころ・祭り

  • 白浜海水浴場遠浅の海水浴場
  • 生見海岸サーフスポットとして知られる海岸
  • 野根山街道奈良時代に整備された街道
  • 甲浦八幡宮ひよこち踊りが3年に一度ある
  • 道の駅東洋町鮮魚や干物を販売する道の駅

木ヒノキ鳥ウグイス東洋町の木・鳥

東洋町のなりたち

東洋町(とうようちょう)は、高知県東部の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。野根村・甲浦町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の東洋町になりました。

今の名前「東洋町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

1920年の時点で、この区域の町村は安芸郡に属していました。

21920年の町村の数
1回合併・編入の回数
74km²今の面積
1959年いちばん新しい合併

「東洋町」という名前

「東洋」は「東に太平洋を望む町」の意味です。1959年(昭和34年)7月1日に、安芸郡の甲浦町と野根町が合わさって発足したとき、町名がなかなか決まらず、高知県が間に入って「東洋町」と命名されました。町章は1964年(昭和39年)11月17日に制定されています。

まちの成り立ち

東洋町は、高知県の最も東にあり、徳島県と接する町です。室戸阿南海岸国定公園のほぼ中央に位置し、野根川沿いに町域が広がります。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、安芸郡に甲浦村(白浜村・河内村・生見村・甲浦村)と野根村が発足しました。甲浦村は1916年(大正5年)4月1日に町制を施行して甲浦町となり、野根村は1938年(昭和13年)2月11日に町制を施行して野根町となりました。1959年(昭和34年)7月1日、甲浦町と野根町が合わさって、東洋町が発足しました。町役場の位置をめぐって意見がまとまらず、役場は2年交代で野根と甲浦に置かれ、1985年(昭和60年)に現在の役場ができるまで、数年ごとに移っていました。白浜海岸は遠浅の海水浴場で、生見海岸はサーフスポットとして知られます。産業は水産業のほか、林業や果樹栽培で、ポンカンや小夏が作られています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、安芸郡に甲浦村(白浜村・河内村・生見村・甲浦村の区域)と野根村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1916年4月1日大正5年甲浦村が町制を施行して甲浦町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  3. 1938年2月11日昭和13年野根村が町制を施行して野根町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  4. 1959年7月1日昭和34年甲浦町と野根町が合併して東洋町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.kochi.lg.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

東洋町1959〜今
野根村→野根町1889〜1959
甲浦町1916〜1959

参考にした資料