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四万十町しまんとちょう

1920年には8の町村だった区域が、3回の合併・編入を経て、今の四万十町になりました。

8町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の四万十町

高知県の西南部にある高岡郡の町で、四万十川の中流に位置します。東は土佐湾に面し、北西部は四国山地を挟んで愛媛県と境を接します。農林水産業と観光が主な産業で、ショウガや仁井田米、窪川豚、四万十ヒノキなどを産します。四国八十八箇所の岩本寺や、日本の白砂青松100選の小室の浜があります。

今の四万十町の区域の人口は、2020年の国勢調査で15,607人です。今の区域で数えた1980年の26,438人とくらべると41.0%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は45.0%です。

15,607人人口(2020年)
−41.0%1980年からの増減
642.28km²面積(国土地理院)
24人/km²人口密度
45.0%65歳以上の割合
26,4381980199020052020
15歳未満 9.5%15〜64歳 45.5%65歳以上 45.0%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:農林水産業と観光が中心で、ショウガ、仁井田米、窪川豚、四万十ヒノキなどを産します。

特産品・名産

  • 仁井田米町で作られる米
  • 窪川豚町で育てられる豚
  • 四万十ヒノキ町産の檜。町役場庁舎にも使われる

見どころ・祭り

  • 小室の浜日本の白砂青松100選
  • 岩本寺四国八十八箇所の札所
  • 佐川橋(下津井めがね橋)トロッコ列車の軌道橋。県の近代化遺産
  • 仁井田のヒロハチシャノキ国の天然記念物
  • 海洋堂かっぱ館町内の施設

木シマントヒノキ花エンコウツツジ(キシツツジ)鳥ヤイロチョウ四万十町の木・花・鳥

四万十町のなりたち

四万十町(しまんとちょう)は、高知県高幡の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、8の町村がありました。松葉川村・仁井田村・東又村・興津村・西上山村・十川村・大正村・窪川村です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の四万十町になりました。

今の名前「四万十町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの8の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の大正村が約193km²だったのに対し、今の四万十町は約621km²と、およそ3.2倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は幡多郡・高岡郡に属していました。

81920年の町村の数
3回合併・編入の回数
642km²今の面積
2006年いちばん新しい合併

「四万十町」という名前

「四万十」は、町を流れる四万十川と同じ名です。2006年(平成18年)3月20日に、高岡郡の窪川町と、幡多郡の大正町・十和村が合わさって発足したとき、この名が選ばれました。下流には2005年に発足した四万十市があり、市と町のどちらも四万十の名を譲らず、両方が存在することになりました。

まちの成り立ち

四万十町は、高知県の西南部にあり、四万十川の中流に位置します。東は土佐湾に面し、北西部は四国山地を挟んで愛媛県と接します。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、高岡郡に窪川村・松葉川村・仁井田村・東又村・与津村、幡多郡に東上山村・西上山村・十川村が発足しました。東上山村は1914年(大正3年)に大正村、西上山村は1928年(昭和3年)に昭和村と改称し、大正村は1947年(昭和22年)8月1日に町制を施行して大正町になりました。窪川村は1926年(大正15年)2月11日に町制を施行して窪川町になりました。与津村は1948年(昭和23年)に興津村と改めました。1955年(昭和30年)1月5日に窪川町・東又村・興津村・松葉川村・仁井田村が合わさって改めて窪川町が発足し、1957年(昭和32年)8月1日に昭和村と十川村が合わさって十和村が発足しました。2006年(平成18年)3月20日、窪川町・大正町・十和村が合わさって、四万十町が発足しました。町ではショウガや仁井田米、窪川豚、四万十ヒノキなどを産します。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、高岡郡に窪川村・松葉川村・仁井田村・東又村・与津村、幡多郡に東上山村・西上山村・十川村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1914年1月1日大正3年幡多郡東上山村が改称して大正村となった。種類:改称 出典:Wikipedia
  3. 1926年2月11日大正15年窪川村が町制を施行して窪川町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  4. 1928年11月10日昭和3年幡多郡西上山村が改称して昭和村となった。種類:改称 出典:Wikipedia
  5. 1947年8月1日昭和22年大正村が町制を施行して大正町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.kochi.lg.jp
  6. 1948年4月1日昭和23年大正町の一部(折合)が窪川町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
  7. 1948年5月3日昭和23年与津村が改称して興津村となった。種類:改称 出典:Wikipedia
  8. 1955年1月5日昭和30年窪川町・東又村・興津村・松葉川村・仁井田村が合併し、改めて窪川町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.kochi.lg.jp
  9. 1957年8月1日昭和32年幡多郡の昭和村と十川村が合併して十和村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.kochi.lg.jp
  10. 2006年3月20日平成18年窪川町と幡多郡の大正町・十和村が合併して四万十町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.kochi.lg.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

四万十町2006〜今
大正村→大正町1914〜2006
窪川村→窪川町1889〜2006
松葉川村1889〜1955
仁井田村1889〜1955
東又村1889〜1955
興津村1889〜1955
十和村1957〜2006
西上山村→昭和村1889〜1957
十川村1889〜1957

参考にした資料