今の湧別町
オホーツク海に面し、湧別川の河口から下流にかけて広がる町です。東にはサロマ湖があります。基幹産業は漁業、酪農、農業で、日本最北のリンゴの産地といわれます。ホタテやカキ、ケガニ、サケなどが水揚げされ、毎年2月には湧別原野でクロスカントリースキー大会が開かれます。旧上湧別町の区域ではチューリップの栽培が行われ、チューリップ公園があります。
今の湧別町の区域の人口は、2020年の国勢調査で8,270人です。今の区域で数えた1980年の14,326人とくらべると42.3%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は39.3%です。
主な産業:漁業、酪農、農業が基幹産業で、リンゴも栽培されます。
特産品・名産
- ホタテサロマ湖で育てオホーツク海に放流する
- 殻付きカキサロマ湖で育てる1年カキ・2年カキ
- 毛ガニオホーツク海で獲れるカニ
- ホッカイシマエビサロマ湖で獲れるエビ
- リンゴ日本最北のリンゴ産地とされる
見どころ・祭り
- かみゆうべつチューリップ公園約200品種のチューリップが咲く花畑
- 鶴沼原生花園サロマ湖畔の原生花園
- シブノツナイ竪穴住居跡北海道指定の史跡
- 道の駅愛ランド湧別町内の道の駅
木イチイ花チューリップ湧別町の木・花
湧別町のなりたち
湧別町(ゆうべつちょう)は、北海道オホーツク地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。上湧別村・下湧別村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の湧別町になりました。
今の名前「湧別町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の下湧別村が約339km²だったのに対し、今の湧別町は約566km²と、およそ1.7倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は紋別郡に属していました。
「湧別町」という名前
「湧別」は、湧別川の名に由来します。湧別はアイヌ語の「ユペ」(鮫)に由来するとされ、上湧別のほうは「ユウペット」(清らかな水の湧くの意)に由来するともいいます。もとは湧別川の全域が一つの村でしたが、のちに上流を上湧別村、河口を下湧別村に分け、1953年(昭和28年)に下湧別村が町制を施行して湧別町となりました。
まちの成り立ち
湧別の開拓は、1882年(明治15年)に始まったとされます。1887年(明治20年)には徳弘正輝ら3人が上湧別に住みつき、これが和人の定住の始めといわれます。1897年(明治30年)と翌年には屯田兵399戸が入り、その後も移住する人が増えました。1897年(明治30年)6月に紋別の戸長役場から分かれて湧別村戸長役場が置かれ、1906年(明治39年)に二級町村制が施行されて湧別村になりました。1910年(明治43年)4月1日、上流の地域が上湧別村として分かれ、河口側の湧別村は下湧別村と名前を改めました。1919年(大正8年)には上湧別村から遠軽村が分かれています。1950年(昭和25年)には下湧別村の床丹の集落が佐呂間村に移りました。1953年(昭和28年)9月29日に上湧別村が町制を施行して上湧別町となり、10月1日には下湧別村が町制を施行して湧別町と名前を改めました。分かれてからおよそ100年後の2009年(平成21年)10月5日、上湧別町と湧別町が合併し、今の湧別町が生まれました。
年表
- 1906年4月1日明治39年紋別郡の湧別村に二級町村制が施行された。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1910年4月1日明治43年湧別村の上流側が分かれて二級町村制の上湧別村が発足し、残る湧別村は下湧別村に改称した。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1919年4月1日大正8年上湧別村から遠軽村が分かれた。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1950年11月15日昭和25年下湧別村の床丹の集落が、境界変更により佐呂間村に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1953年9月29日昭和28年上湧別村が町制を施行し、上湧別町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1953年10月1日昭和28年下湧別村が町制を施行し、名を改めて湧別町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 2009年10月5日平成21年上湧別町と湧別町が合併し、新しい湧別町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。