今の稚内市
北海道の最北部にあり、宗谷総合振興局が置かれる市です。西は日本海、北は宗谷海峡、東はオホーツク海に面しています。地形は南北に走る二つの丘陵性の山地とその間の低地からなり、東側は周氷河地形で知られる宗谷丘陵です。西側の低地には砂丘と湿地が続き、利尻礼文サロベツ国立公園の一部になっています。水産業と酪農を中心に発展し、風の強さを生かした風力発電にも早くから取り組んできました。
今の稚内市の区域の人口は、2020年の国勢調査で33,563人です。今の区域で数えた1980年の53,471人とくらべると37.2%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は33.0%です。
主な産業:水産業(ホタテガイなど)と酪農が中心で、観光や風力発電も営まれています。
特産品・名産
- ホタテガイ魚種別の水揚げで最も多い
- ミズダコ名産地とされ、たこしゃぶなどに使う
- 宗谷黒牛宗谷丘陵で放牧される肉牛
見どころ・祭り
- 北防波堤ドーム稚内港の防波堤に設けられた建造物
- 宗谷岬樺太に最も近い岬
- 宗谷丘陵周氷河地形が見られる北海道遺産
- 稚内市立ノシャップ寒流水族館寒流に住む生き物を展示
木サクラ、ナナカマド花ハマナス稚内市の木・花
稚内市のなりたち
稚内市(わっかないし)は、北海道宗谷地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。宗谷村・稚内町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の稚内市になりました。
今の名前「稚内市」は、1920年にあった稚内町の名前を受け継いでいます。ほかの1の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の稚内町が約577km²だったのに対し、今の稚内市は約875km²と、およそ1.5倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は宗谷郡に属していました。
「稚内市」という名前
「稚内」は、アイヌ語の「ヤムワッカナイ」(冷たい水のある沢)が変化した名です。現在の港1丁目付近にあった小川が、良い水の得にくいこの土地で飲み水に向いていたことから付いた名と考えられています。この呼び名がのちに町の名となり、1949年(昭和24年)に市の名になりました。
まちの成り立ち
稚内の歴史は、1685年(貞享2年)に松前藩が宗谷場所を開いたことに始まります。1879年(明治12年)に宗谷に郡役所が置かれ、宗谷・抜海・稚内・声問・泊内・猿払の各村に戸長役場が設けられました。市はこの年を開基としています。1888年(明治21年)9月には、戸長役場が稚内村へ移されました。1900年(明治33年)7月1日、稚内・抜海・声問の区域で一級町村制が施行されて稚内村が発足し、翌1901年(明治34年)5月に稚内町となりました。一方、宗谷・泊内・猿払の区域には1909年(明治42年)に二級町村制が施行されて宗谷村が置かれ、1924年(大正13年)に猿払村が分かれました。樺太との定期航路が開かれると、稚内は交通の基地として発展しました。1949年(昭和24年)4月1日、稚内町が市制を施行して稚内市になりました。1950年(昭和25年)には豊富村の天興・曙の一部が市に移り、1955年(昭和30年)2月1日には宗谷村が稚内市に編入されて、日本海からオホーツク海にわたる今の市域がまとまりました。
年表
- 1900年7月1日明治33年宗谷郡の稚内村・抜海村・声問村の区域で一級町村制が施行され、稚内村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1901年5月11日明治34年稚内村が稚内町に改められた。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1909年4月1日明治42年宗谷郡の宗谷村・泊内村・猿払村の区域で二級町村制が施行され、宗谷村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1924年1月1日大正13年宗谷村から猿払村が分かれた。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1949年4月1日昭和24年稚内町が市制を施行し、稚内市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1950年11月15日昭和25年豊富村の字メナシベツの一部(天興・曙)が稚内市に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1955年2月1日昭和30年宗谷村が稚内市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。