今の神恵内村
北海道南西部、積丹半島の西側にある村です。日本海に面し、古宇川や珊内川が流れる山がちな土地で、天狗岳や珊内岳などの山が連なります。冬の冷え込みは道内でも弱い地域の一つです。漁業が主な産業で、ウニ、ホタテ、アワビ、ヤリイカ、ホッケ、アンコウなどが水揚げされます。村内には青少年旅行村のキャンプ場や、珊内ぬくもり温泉があります。
今の神恵内村の区域の人口は、2020年の国勢調査で870人です。今の区域で数えた1980年の2,014人とくらべると56.8%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は51.5%です。
主な産業:漁業が主な産業で、ウニ・ホタテ・アワビ・ヤリイカなどが獲れます。
特産品・名産
- ウニ村の漁業で獲れる海産物
- ホタテ村の漁業で獲れる海産物
- ヤリイカ村の漁業で獲れる海産物
見どころ・祭り
- 神恵内青少年旅行村村内のキャンプ場
- 珊内ぬくもり温泉村内の温泉
- 神恵内2000年の森公園村内の公園
木トド松神恵内村の木
神恵内村のなりたち
神恵内村(かもえないむら)は、北海道後志地方の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに神恵内村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい村です。
1920年の時点で、この区域の町村は古宇郡に属していました。
「神恵内村」という名前
「神恵内」は、アイヌ語の「カムイ・ナイ」(美しい神の沢)が変わった名で、地形が険しく人が近づきにくい、神秘的な沢を意味するとされています。1906年(明治39年)に神恵内村・赤石村・珊内村が合併して二級町村制を施行するとき、この名が新しい村の名になりました。
まちの成り立ち
神恵内では、1594年(文禄3年)ごろから和人がニシン漁を行っていたとされます。1601年(慶長6年)には近江の田付景豊が漁業に目をつけて視察し、1603年に古宇川のほとりに住んで漁業を始め、これが和人が住みつく始まりとされています。1696年(元禄9年)には、漁場主の田付豊閣が東北地方から34戸、158人を移住させました。1869年(明治2年)8月に古宇郡に編入され、1875年に開拓使の古宇派出所が置かれました。1880年(明治13年)には神恵内外1村戸長役場と珊内村戸長役場が置かれています。1906年(明治39年)4月1日、神恵内村・赤石村・珊内村の3村が合併して二級町村制を施行し、村名を神恵内村としました。この合併で今の村域が定まりました。ニシン漁は江戸時代後期から昭和の戦前まで、地域の基幹産業でした。2020年(令和2年)11月には、高レベル放射性廃棄物の最終処分地選定に向けた文献調査が始まっています。
年表
- 1880年古宇郡に神恵内外1村戸長役場と珊内村戸長役場が置かれた。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1906年4月1日明治39年古宇郡の神恵内村・赤石村・珊内村が合わさって二級町村制を施行し、神恵内村となった。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。