今の浜中町
北海道東部、釧路総合振興局の東端にある町です。太平洋に面した南部の海岸には霧多布岬があり、内側に広がる霧多布湿原の泥炭形成植物群落は国の天然記念物です。北部の内陸は酪農が盛んで、生乳は乳製品の原料に使われます。南部の海岸では昆布やホッキなどの漁業が営まれ、霧多布港と散布港が主要な港です。7月中旬にはエゾカンゾウが霧多布湿原を橙色に染めます。
今の浜中町の区域の人口は、2020年の国勢調査で5,507人です。今の区域で数えた1980年の9,243人とくらべると40.4%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は32.0%です。
主な産業:北部の酪農と、南部の昆布・ホッキなどの漁業が中心です。
特産品・名産
- 昆布天然昆布の漁が盛んな海産物
- ホッキ南部の海岸で漁獲される貝
- 生乳酪農が盛んな北部で生産される
見どころ・祭り
- 霧多布湿原ラムサール条約登録湿地
- 霧多布岬海を望む岬
- 琵琶瀬展望台太平洋を見渡せる展望台
- アゼチ岬町内の岬
- 霧多布温泉ゆうゆ町のふれあい交流・保養センター
木白樺花エゾカンゾウ鳥エトピリカ浜中町の木・花・鳥
浜中町のなりたち
浜中町(はまなかちょう)は、北海道釧路地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに浜中村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は厚岸郡に属していました。
「浜中町」という名前
「浜中」は、アイヌ語の「オタノㇱケ」(砂浜の中央)を意訳した名です。町の発祥の地は、今の榊町のあたりで、約56キロにおよぶ砂浜の海岸線の中ほどにありました。のちに鉄道の浜中駅が内陸に置かれたため、地名としては今の浜中市街のあたりを指すようになっています。
まちの成り立ち
浜中は、1701年(元禄14年)に厚岸場所を割いて松前藩のキイタップ場所が開かれたのが始まりとされ、海から開かれた町です。1869年(明治2年)に佐賀藩の支配地となり、同藩が12戸の農耕民を移住させました。翌1870年には榊富右衛門が漁場の貸付を受け、多くの漁民とともに入り、現在の榊町にあたる集落ができました。1879年(明治12年)に榊町へ戸長役場が置かれ、1884年に浜中が後静・琵琶瀬・霧多布・散布の4村に分けられました。1906年(明治39年)4月1日、霧多布外1町4村が合わさって浜中村と改称し、二級町村制を施行しました。1919年(大正8年)4月1日には一級町村制になっています。1963年(昭和38年)8月1日に町制を施行して浜中町となり、同じ日に根室市との境界が改められました。1952年の十勝沖地震津波と1960年のチリ沖地震津波で大きな被害を受けましたが、そのたびに復興しました。北部の内陸では酪農が、南の海岸では昆布やホッキなどの漁業が営まれています。
年表
- 1884年浜中の榊町戸長役場が廃され、浜中が後静・琵琶瀬・霧多布・散布の4村に分けられた。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1906年4月1日明治39年厚岸郡の霧多布外1町4村が合わさって浜中村と改称し、二級町村制を施行した。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1919年4月1日大正8年浜中村が一級町村制を施行した。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1963年8月1日昭和38年浜中村が町制を施行し、浜中町となった。同じ日に根室市との境界が変更された。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。