今の江差町
北海道の南西部にある檜山振興局の所在地で、日本海に面した町です。町の沖に鴎島が浮かび、厚沢部川が日本海に注ぎます。東部は山地で、市街地は鴎島の対岸に広がります。江戸時代はニシン漁と北前船の交易で栄え、江差追分などの民謡や祭りが伝わります。奥尻島との間にフェリーが運航され、2017年に日本遺産に認定されました。
今の江差町の区域の人口は、2020年の国勢調査で7,428人です。今の区域で数えた1980年の13,930人とくらべると46.7%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は38.5%です。
主な産業:ニシン漁で栄えた港町で、現在は漁業と観光が営まれています。
特産品・名産
- 丸缶羊かん江戸時代創業の五勝手屋本舗の菓子
- 江差追分まんじゅう江差追分の名を付けた菓子
- 江差追分米町内で採れる米
見どころ・祭り
- 鴎島町のシンボル。沖合に浮かぶ島
- 旧中村家住宅国の重要文化財の民家
- 旧檜山爾志郡役所郷土資料館として公開
- 姥神大神宮8月に渡御祭が行われる
木ヒノキアスナロ花ハマナス江差町の木・花
江差町のなりたち
江差町(えさしちょう)は、北海道檜山地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。泊村・江差町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の江差町になりました。
今の名前「江差町」は、1920年にあった江差町の名前を受け継いでいます。ほかの1の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の江差町が約54km²だったのに対し、今の江差町は約119km²と、およそ2.2倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は檜山郡に属していました。
「江差町」という名前
「江差」は、アイヌ語の「エサウシ」(頭が浜についている所、つまり岬の意)に由来するとされます。探検家の松浦武四郎は「エサシウシ」(食べる昆布がついている?)に由来する説を示しています。また「エサシ」(昆布の意)から出たとする説もあります。1900年(明治33年)に江差町が発足し、1955年(昭和30年)に泊村と新設合併しました。
まちの成り立ち
江差は、北海道で最も早く開けた地域の一つといわれます。1678年(延宝6年)に松前氏が檜山を開くにあたり、江差に奉行を置いて檜の伐採と補植を行わせました。江戸時代は北前船の終着地で、ニシンの漁場とヒノキアスナロなどの交易港として栄え、「江差の五月は江戸にもない」といわれました。1868年(明治元年)には旧幕府海軍の開陽丸が江差沖で座礁して沈みました。1665年(寛文5年)には法華寺が江差に移るなど、寺社も集まりました。1872年(明治5年)に開拓使函館支庁の所属となって町役人が廃され、戸長役場が置かれました。1897年(明治30年)に檜山支庁が置かれ、1900年(明治33年)7月1日に一級町村制が施行されて江差町となりました。隣の泊村は、1906年(明治39年)4月1日に二級町村制で発足していました。1955年(昭和30年)2月11日、江差町と泊村が新設合併して新しい江差町が発足しました。江差線は1936年(昭和11年)に江差駅が開業しましたが、2014年(平成26年)5月12日に木古内駅と江差駅の間が廃止されました。
年表
- 1900年7月1日明治33年江差の市街の26町と五勝手村が合わさって北海道一級町村制を施行し、江差町となった。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1906年4月1日明治39年北海道二級町村制が施行され、泊村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1955年2月11日昭和30年江差町と泊村が合わさり、新しい江差町となった。種類:新設合併 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1967年5月1日昭和42年厚沢部町との境界を変更した。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。