今の大間町
下北半島の西北端にある町です。津軽海峡に面して約15kmの海岸線が続き、対岸は北海道の亀田半島です。北端の大間崎は本州の最北端で、海岸には段丘が発達しています。町域の7割以上を国有林が占め、平地は海沿いに限られます。北前船の寄港地だった港町で、マグロの一本釣りで知られ、大間港から函館へフェリーが出ています。
今の大間町の区域の人口は、2020年の国勢調査で4,718人です。今の区域で数えた1980年の7,624人とくらべると38.1%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は36.3%です。
主な産業:マグロ・イカ・ウニ・コンブなどの漁業が中心で、観光も主な産業です。
特産品・名産
- 大間まぐろ一本釣りで揚がるクロマグロ
- 大間牛町内で育てられる肉牛
- コンブマグロ・イカ・ウニと並ぶ主要な海産物
見どころ・祭り
- 大間崎本州最北端の岬で、碑が立つ
- 大間埼灯台大間崎の沖、弁天島に立つ灯台
- 津鼻崎スカシユリが群生する断崖
- 赤石海岸本州最北の海水浴場とされる
木クロマツ花ハマナス鳥カモメ大間町の木・花・鳥
大間町のなりたち
大間町(おおままち)は、青森県下北地域の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに大奥村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は下北郡に属していました。
「大間町」という名前
「大間」の地名の由来ははっきりしていません。1889年(明治22年)の町村制で、下北郡の大間村と奥戸村が一つになって大奥村が生まれました。「大奥」は、二つの村の名から一字ずつ取って合わせた名です。1942年(昭和17年)11月3日に町制を施行したとき、名前を大間町に改め、大間の名が町の名になりました。
まちの成り立ち
大間は下北半島の西北部にあり、津軽海峡をはさんで北海道の亀田半島と向き合う土地です。江戸時代は南部藩に属し、北前船が立ち寄る港でした。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、下北郡の大間村と奥戸村が一つになり、大奥村(おおおくむら)が発足しました。1942年(昭和17年)11月3日には町制を施行し、名前を大間町に改めました。県内で29番目の町でした。その後は合併をしておらず、町の区域は大奥村のころと同じです。町は津軽海峡に沿って約15kmの海岸線が延び、北端の大間崎は本州の最北端にあたります。町域の7割以上は国有林で、最も長い川は奥戸川です。対岸の汐首岬までは17.5kmで、大間港からは函館へフェリーが出ています。国鉄大畑線から延ばす大間線の計画がありましたが実現せず、町内に鉄道は通っていません。マグロ漁で知られる漁業と、観光が町の主な産業です。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、下北郡の大間村と奥戸村が合併して大奥村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1942年11月3日昭和17年大奥村が町制を施行するとともに改称し、大間町となった。種類:町制施行 出典:www.town.ooma.lg.jp
- 2006年4月30日平成18年大間町・風間浦村・佐井村が大間町への編入合併を協議したが、大間町の住民投票で反対が多数となり、合併協議会は同年5月31日に廃止された。種類:その他 出典:www.pref.aomori.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。