今の南知多町
知多半島の最南端にあり、三河湾に浮かぶ日間賀島や篠島などの離島も含むまちです。小高い丘と海岸にはさまれた狭い平地に集落が連なります。7つの漁港をもち、漁獲量は愛知県一とされ、水産加工業も盛んです。海水浴や釣りなどで名古屋方面から多くの観光客が訪れ、島へは定期船が通っています。
今の南知多町の区域の人口は、2020年の国勢調査で16,617人です。今の区域で数えた1980年の27,017人とくらべると38.5%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は39.0%です。
主な産業:漁業・水産加工、観光、プラスチック製品(プラスチック花壇)
特産品・名産
- ニシ汁名産・特産として挙げられる
- 波まくら名産・特産として挙げられる
見どころ・祭り
- 日間賀島三河湾の離島。定期船で行ける
- 篠島三河湾の離島。定期船で行ける
- 正法寺知多四国霊場第29番札所
- 医王寺知多四国霊場第30番札所
- 師崎漁港知多半島の最南端にある漁港。朝市で知られる
木ウバメガシ花スイセン南知多町の木・花
南知多町のなりたち
南知多町(みなみちたちょう)は、愛知県尾張地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。内海町・豊浜町・師崎町・日間賀島村・篠島村です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の南知多町になりました。
今の名前「南知多町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの5の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の内海町が約18km²だったのに対し、今の南知多町は約38km²と、およそ2.2倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は知多郡に属していました。
「南知多町」という名前
町名の由来について、確認できた資料には説明がありません。1961年(昭和36年)に内海町・豊浜町・師崎町・篠島村・日間賀島村が合併したとき、どの旧町村名も使わずに「南知多」と名付けられました。町は知多半島の最南端にあり、古くからの郡名でもある「知多」に「南」を付けた名と考えられますが、命名の経緯は分かっていません。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)の町村制の施行で、今の町域には知多郡の内海村・山海村・豊浜村・師崎村・大井村・篠島村・日間賀島村などが生まれました。内海村は1893年(明治26年)、師崎村は1894年、豊浜村は1905年に町制を施行し、1906年(明治39年)には内海町が山海村と、師崎町が大井村と、豊浜町が豊丘村の一部と合併して、それぞれ一回り大きな町になります。江戸時代に尾州廻船の港として栄えた内海をはじめ、半島の先端の3町と、三河湾に浮かぶ篠島・日間賀島の2村は、1961年(昭和36年)6月1日に合併して南知多町となりました。平成の大合併では隣の美浜町との合併が話し合われましたが、2005年(平成17年)1月に合併協議会が発表した新市名の候補「南セントレア市」に、町内や全国から批判が集まりました。この名前は2月に撤回され、2月27日の住民投票では合併反対が多数となって、合併は実現しませんでした。今も内海・山海・豊浜・豊丘・師崎・片名・大井・篠島・日間賀島の名が町内の地名として使われています。
年表
- 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、知多郡に内海村・山海村・豊浜村・師崎村・大井村・篠島村・日間賀島村・豊丘村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1893年11月8日明治26年知多郡内海村が町制を施行し、内海町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1894年9月8日明治27年知多郡師崎村が町制を施行し、師崎町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1905年2月1日明治38年知多郡豊浜村が町制を施行し、豊浜町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1906年知多郡師崎町・大井村が合併して改めて師崎町が、内海町・山海村が合併して改めて内海町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1906年7月1日明治39年知多郡豊浜町と豊丘村の一部(山田・乙方)が合併して改めて豊浜町が発足し、豊丘村の残りは河和町に加わった。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1961年6月1日昭和36年知多郡内海町・豊浜町・師崎町・篠島村・日間賀島村が合併して南知多町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。